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“循环”动画的“怀旧”——从《魔法少女小圆》到《selector infected》

  原文链接:http://blog.renren.com/blog/224302725/931981603







  2014年起笔者从师曾经在动画考察20里提到过的漫画评论家夏目房之介老师(文豪夏目漱石的孙子),本文的日文版将刊登于由夏目老师门下的学生自发编撰,并预定于C86发售的漫评同人志N.M.R.上。该同人志将在C86的2014年8月17日于东区P-01b与今年出版了专著《漫画与电影》的三轮健太郎参与编撰的漫评同人志《三角星》的摊位发售,欢迎各位有条件的朋友前来捧场。

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  以下正文,由于本文原文是我用日语写的,所以希望会日语的朋友直接读日文版,会比较通顺。


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  从2014年4月起,名为《selector infected WIXOSS》的原创电视动画开播并于7月完结了其第一季。在观看这部动画时,如果是看过了从三年前开播至今仍然话题不断的《魔法少女小圆》系列(电视版、剧场版)的人的话,就很容易感受到一种充满既视感的关联性了。毫不例外地,笔者也在不由之中开始认为,前者是继承,并向后者所开拓的主题追寻希望而不断战斗的少女们却渐渐陷入绝望致敬的作品。而这里所激发的共通的情感究竟是什么呢?大概就是一种怀旧了吧。



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  《selector》的系列构成兼脚本家的冈田麿里在她自身首部电视动画原创企划作品的《那朵花》里,恰恰描绘了一个怀旧的主题。不仅仅是高中生的主人公们被自己小学时代事故死了的朋友的回忆所套住和彷徨这个本身就是关于怀旧的故事内容,2011年播映的该片的ED所选用的2001年ZONE的名曲《secret base~君がくれたもの~》,也一举成为了强烈激发该片年轻观众们的怀旧情怀的要素。在每周故事进行到绝妙的地方仿佛神来之笔般流淌而出的该曲前奏,可以说给予观众了一种对于这部作品结束了的实时性这个试听体验本身的怀旧。日本电视动画,特别是在制作这些原创动画的时候,从企划到播映平均大概需要两年的时间。于是,从《魔法少女小圆》到《selector》的三年的这个时间差当中,也就并不能完全排除两者之间存在影响关系的可能性了。然而,不论冈田麿里或是制作方有没有在脚本上下意识地模仿《魔法少女小圆》,包括笔者在内的观众们难道不能说就是感受到选曲上与故事内容实现了同步的《那朵花》的怀旧以不同的形式在《selector》里复苏了吗?而且这种复苏,就好像《魔法少女小圆》之类的循环结构故事里常常出现的反复的既视感一般。


  使用操纵时间的魔法的晓美焰数次逆时而行,为了不让鹿目圆缔结魔法少女的契约而不断努力奋斗,却最终因此给予了小圆同时成为最强的魔法少女和最为险恶的魔女的可能性;接受了小焰的努力的小圆成为了圆环之理将世界改为了没有魔女的世界可以说,《魔法少女小圆》之所以被称为有着循环故事结构,正是在于主人公小焰和小圆的这一番为了彼此而改写历史并最终推动了情节发展的地方。然而,小焰或者小圆所实行的这一番历史改写就算可以看作是尝试(或者成功)逃脱出了为了实现某个happy ending而不断挑战的仿佛游戏般的存档、再读取(S/L)的循环过程,包括小焰和小圆在内的魔法少女们在契约的同时许下的愿望的核心之处,难道不可以说恰恰存在着被过去某个状态所套住并不断重复或者维持这一状态的状况,另一个仿佛怀旧一般的循环恰恰逐渐显现出了其麟角么?


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  从交通事故里逃生,暗恋的小提琴手伤病痊愈,恢复教徒们对于父亲的信赖,将战死魔女Walpurgis Night的自己第一个朋友小圆复生,亦或是将魔女从诞生前消去魔法少女们所许的都是这种将负面的不幸归零的维持现状的愿望。就好像评论家浅羽通明在他的著作《时间循环故事论》最后所说的大家比起零增长,负增长,衰老,更愿意选择维持现状,于是都变成了lsquo;圆盘式的时间rsquo;(循环状的时间),消除了QB所说的作为魔法少女的成长和成熟的魔女并且自身成为了圆环之理的小圆说不定才是否定了成长,凸显了《魔法少女小圆》的循环特性的存在。同时,也好像《魔法少女小圆》脚本家虚渊玄在访谈里解释作为循环的中心的存在的圆环之理这个概念时所说的在被改写了的世界里,在魔法少女们之间传承的传说一般,消失了的魔女的世界就好似小圆成为了概念一般,以一种虚无的怀旧的存在不断循环(传承)了下去。


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  小圆成为圆环之理不断循环了下去,而其他魔法少女们就算主观上没有意识到,由于逃脱了成为魔女的宿命而实现了客观上的前进(不再循环)。然而,在剧场版新篇的《叛逆的故事》里作为唯一一个还保持着对于小圆的记忆的小焰由于对于小圆的怀旧情怀却甚至为了想把小圆的不在这个不幸归零而不惜化身恶魔。


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  在《selector》里存在着梦限少女(日语发音与无限少女相同)这么一个概念,成为了故事中仿佛镜面内外的GIRL的selector和LRIG的卡片角色之间角色互换这个循环主题的钥匙。这个概念让笔者联想起了同样是冈田麿里参与脚本的2006年的电视动画《Simoun》里出现的不进行性别选择的永远的少女这个概念。如此看来,说不定这也可以说是一种循环动画的怀旧。

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  《魔法少女小圆》的最终话的播映因为与2011年日本东北大地震和由此引发的海啸、核事故时期相重合而延迟了一个月以上,并由此作品的话题性得到了进一步提高。这是因为最终话里的破坏性描写恰恰成为了播映当时的观众对于那场灾害的记忆。核事故以后,各种反核能运动在日本各地展开。然而这些运动就好像发生了切尔诺贝利核发电厂事故的1987年在日本一时兴起并很快销声匿迹了的反核能运动一般,在3年后的今天也余热殆尽。借用浅羽通明在youtube上关于日本的现在的公开课的话来说的话,这是因为习惯了的日常和难以改变的生活而雪崩般地恢复为了日常。对于同时经历了1987年的运动和2011年的运动的浅羽来说,看这些社会运动余热殆尽重新上演就好像看着一种怀旧的循环一般。然而,通过重新观看《魔法少女小圆》,或者通过《selector》来感受对于这部三年前的动画的怀旧同时联想播映时的状况,笔者认为,正是在这些从日常和生活中遗漏,深夜播出并无法预知情节的原创动画作品中,不仅视听的实时性会以怀旧的形式强烈存在下去,对于其背景的灾害和事故的记忆也会被深深镌刻。正是这一组咋看上去互相对立的怀旧和灾害的记忆形成了表里一体,通过可以不断重试的小焰或将不幸归零的魔法少女们与受到了覆水难收的灾害和辐射的观众们的对立促成了作为循环故事构造的《魔法少女小圆》的批评性。想必这种对立的批评性在《selector》里被其所描绘的镜面内外的对立和反愿望的赌博性的无法重来所继承后,将继续发展下去。



郭文放

                                2014年7月27日

                            日本东京



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浅羽通明講義 「日本の現在」を考える (youtubeJapanese)


日文版



「ループ」するアニメの「ノスタルジア」

――『まどマギ』から『selector』へ

 2014年4月から、『selector infected WIXOSS』[1]と題したオリジナルTVアニメが放送された。このアニメを視聴する際に、3年前から今日まで話題になっている『魔法少女まどか☆マギカ』[2]シリーズ(TV版?劇場版)を観たことのある人であれば、両者の関係性を連想せざるを得ないのだろう。かく言う筆者も『まどマギ』が開拓したテーマ――希望を求めて戦い続ける少女たちが絶望的な状況に追い込まれる――を継承?オマージュする作品として『selector』を受け取るに至った。そこで刺激された共通の感情とは何か?「ノスタルジア」である。

 『selector』のシリーズ構成兼脚本の岡田麿里は、自身最初のTVアニメオリジナル企画である『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』[3]の中で、まさに「ノスタルジア」というものをテーマとして描いた人なのである。小学生の時に死んでしまった友達の思い出に高校生がとらわれているというノスタルジックな物語もさることながら、2011年4月放送の『あの花』では、2001年のZONEの名曲「secret base ?君がくれたもの?」がエンディング曲に使われ、若いファンのノスタルジアを強く刺激する要素になっている。週ごとにストーリーの絶妙なタイミングで流されるEDのイントロが、「終わったリアルタイム」という作品の視聴経験そのものに対するノスタルジアをすら視聴者に与えるものになっていた。TVアニメ、特にこれらのオリジナル作品を制作する場合、企画からオンエアまでに平均して2年ほどのスパンが必要である。『まどマギ』と『selector』の3年という時間差に影響関係を想定することは可能だろう。しかし、岡田麿里?制作側が『まどマギ』を意識してストーリーを作ったにせよそうでないにせよ、内容とシンクロした選曲をした『あの花』の「ノスタルジア」は、違う形で『selector』に蘇った――ように視聴者たちは感じたのではないだろうか。まさに、『まどマギ』のような「ループ」ものによく見られる「反復」の既視感のように。

 「時間操作」の魔法を操る暁美ほむらが幾度となく時間を遡り、鹿目まどかに魔法少女の契約をさせまいと奮闘したが、結果的にまどかに対し最高の魔法少女にして最悪の魔女となる素質を持たせてしまった。それを受け入れたまどかが「円環の理」となり、世界を魔女のない世界に作り変えた――『まどマギ』を「ループ」ものたらしめたのは、ほむらとまどかのこういったお互いのための歴史改変が大きくストーリーを動かしていくところであろう。

ほむらやまどかが行ったこれらの歴史改変は、結果を狙うチャレンジ過程としてのいわゆるゲーム的なセーブ&リロードの「ループ」からは脱出しようとした(あるいはしえた)。しかし、ほむらとまどかを含む魔法少女たちが契約と共に願う思いの裏には、むしろ過去のある状態にとらわれてそれを反復し続ける?維持し続ける状況がある。このもう一つの、「ノスタルジア」のような「ループ」はむしろ前景化しつつあるのではないか。

 交通事故からの生還、ヴァイオリニストの不幸からの回復、宗教者であるお父さんへの信者の回復、それから初めて得た友人でありながら「ワルプルギスの夜」と戦うも死亡してしまったまどかを生き返らせること、そして魔女を生まれる前に消し去ること魔法少女たちの願いはこのように欠損をゼロにする現状維持のためのものばかりである。評論家の浅羽通明が「それ(筆者注:ゼロ成長、マイナス成長、老いといったものを指す)よりは現状維持がマシだと皆考えて、「円盤的時間」ばかりとなってしまっている」[4]と述べているのように、キュゥべえが言う「魔法少女」の成長?成熟としての「魔女」を消し去り、「円環の理」となったまどかこそが、成長を否定し、『まどマギ』のループとしての特性を突出させた存在なのかもしれない。そして、やはりそのループの中心に存在する「円環の理」の説明「書き換えられた世界において、魔法少女たちに口伝されている伝承」[5]にもあるように、失った「魔女」の世界は、一つの儚い「ノスタルジア」として(まどかが概念になったように)存在し、ループし続ける。

 まどかは「円環の理」になって「ループ」している。とすると、ほかの魔法少女は意識していないにしろ、「魔女」になる定めから解放されたことで客観的に「前進」した。しかし、劇場版新編の「叛逆の物語」では唯一そのまどかへの思い出を保持しているほむらが、そのノスタルジアでさらに「まどかの不在」という欠損さえもゼロにするために悪魔になろうとする。

 『selector』には「夢限少女」という概念が存在する。言葉通りに鏡面内外のような「GIRL」としてのセレクターと「LRIG」としてのルリグが立場を入れ換え続けるというストーリーの「ループ」の鍵となっている。この概念は岡田麿里の脚本で2006年に『シムーン』というアニメ作品の中に出てくる男?女の選択をしない「永遠の少女」という概念を連想させる。思えば、これも一種の「ループ」するアニメの「ノスタルジア」なのかもしれない。

 『まどマギ』の最終回は2011年東北大震災及びそれによって引き起こされた津波?原発事故と重なっていたことで1ヶ月以上放送が延期され、作品の話題性がさらに高まった。それは、最終話の破壊的な描写が放送当時の視聴者にとってはまさにその災害への「記憶」となっていたからである。そして、原発事故後、様々な脱原発運動が起きた。しかし、それらもチェルノブイリ原子力発電所事故があった1987年に日本で一時的に勃興したがたちまち冷めてしまった脱原発運動のように、3年後の今となっては熱気はほぼ冷めた。浅羽通明の言葉を借りれば、それは、「慣れる日常」と「変えがたき生活」によってなし崩し的に日常が戻ったからである[6]。1987年と2011年、両方の運動を経験している浅羽にとっては、熱気(筆者注:浅羽は「ほとぼり」という言葉を使っている)が冷めていくのが「ノスタルジック」な「ループ」のように見えていた。しかし、『まどマギ』の再視聴、あるいは『selector』を通してこの3年前のアニメへの「ノスタルジア」を感じ、放送当時の状況を連想させられたことで、筆者は「日常」と「生活」から抜け落ちた、こういった深夜に放送される先の読めないオリジナルアニメ作品たちにこそ、視聴する「リアルタイム」が「ノスタルジア」として強く生き続けるだけでなく、その背景としての災害や事故への「記憶」も刻まれたように感じたのである。その一見正反対に見える「ノスタルジア」と「災害の記憶」は表裏をなし、何度もやり直しができるほむらや欠損をゼロにしようとする魔法少女たちと、不可逆な被害?被曝を受けた視聴者たちとの対立を通してループものとしての『まどマギ』の批評性を成り立たせた。そして、その対立する批評性は『selector』の「鏡面内外」の対立や願いがマイナスになるというギャンブル的な「やり直せない」状況へと受け継がれ、将来もさらに発展していくのであろう。






[1] 以下『selector』

[2] 以下『まどマギ』

[3] 以下『あの花』

[4] 浅羽通明「時間ループ物語論」洋泉社 2012 283

[5] 「オトナアニメ」vol.21の虚淵玄へのインタビュー

[6] 浅羽通明講義 「日本の現在」を考える:http://www.youtube.com/watch?v=AFjuVAg0GJM 最終視聴日:2014年7月17日

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